みんなが幸せになれる緊縛の為に…
身の回りで緊縛に関わったことで嫌な思いをしてしまう方が増えてきている様に思うので、少しまとめてみることにしました。
どんな文章にしようか色々と考えたのですが、結局はこれに尽きるのですよ。
1)緊縛は、相手がいないと成立しない。
2)人によってOK/NGの境界は違って、その違いはとても微妙。
こういう話があった。
ある緊縛講習会で縄の受け手がいなかったため、近場のモデルさんにお願いしたら、ある参加者が急にその子にのしかかったそうだ。
”思い出してしまったのだが、とある勉強会に行った時に、受け手が全くおらずこれではどうにもならない雰囲気だったので、近場の女の子を無理言って召喚したのよ。
おお凄い!と喜ばれて僕も嬉しかったがとある縛り手が「鬼畜な事思いついた」とか調子に乗って言い出してそのモデルの上にのしかかったのよ…
https://twitter.com/h85192718jp/status/1309360715300401153 (筆者が改行を句読点に変換)”
”あんまりだったので「この子受けるの慣れてないんで」と声かけて止めたのだけど女の子に嫌な思いをさせてしまった…それ以来行かないようにしたのだけどこういう事あると自分のモデルとか誰にも触れさせたくなくなるよね…おんも怖いてなるよな…自分の手と目が届く範囲が一番安心できるという過去話
https://twitter.com/h85192718jp/status/1309361521877684224 ”
こんな話が出てくるからにはこの縛り手を徹底的に非難するしかないです。
もしよかったらこの「のしかかった」縛り手サンは是非とも私に連絡をいただけないでしょうか。今後一生つき合わないから。あ、大丈夫です。誰にも言いませんヨ。
何かっていうとですね…
結局のところ、緊縛でもSMでも、それは人と人との関係なんですよ。スポーツのチームや音楽のセッション仲間みたいなもので、お互いに協力し合って素敵なものをつくる。その方法が、
・例えばバドミントンであれば前衛と後衛、
・例えば弦楽であればヴァイオリンとチェロ、
・そして緊縛であれば縛り手と受け手、
そんな役割分担でしかない訳です。
ですので「いっしょにやっている」という感覚がなけば、まず、その場が成立しないはずなのです。
また、拘束を行う場において、縄の受け手はただ単に「拘束されてじっとしている」だけではなく、その体の微妙な動かし方やその表情、声や吐息によってその場を素敵に演出してくれています。
上の例で言うと、このモデルさんは「縛られる」ことを目的に参加してくれたのでしょう。その子はその子なりに自らの役割を果たそうとしたはずです。
しかし、縛り手は相手が果たそうとした役割以上の事を求めました。しかも、相手の了解を得ずに。だから、おかしなことになったのではないでしょうか。
縛り手と受け手は「縛り手によって受け手の自由が奪われている」ため、ともすると縛り手が受け手に比べて優位に立ち、力を持っている様に勘違いされてしまいがちです。
また、受け手は
・そもそも「拘束されている状況」に興味があって役割を買って出た人もいる
・拘束している状況を演出しようとする
ことなどから、ある程度の事はOKしてしまいがちであり、これ自体が悪いことではないにしても、OKしたことが拡大解釈されてしまうことにより、望まぬ行為を受ける羽目になってしまいます。
繰り返しになりますが、縛り手と受け手は、互いに一つのものを作るパートナーであり、それ以上でも以下でもありません。極端な話、例え「奴隷契約」などというものを結ぶ相手であっても、契約である以上それを超越したことは行ってはならず、また、契約なのですからそれは法規に違反してはなりません。
では、どうやってそのパートナー関係を築くことができるのでしょうか。それは、互いの考え方をくりかえし確認することでしかできないんだと思っています。
インターネットの世界はとっても簡単に発信ができます。ちょっとしたDMのやりとりで、上手くすれば緊縛できちゃったりします。お手軽♪
しかし、どんな緊縛をするのか、緊縛したあと何をするのか。その辺をウヤムヤにして現場に臨み、痛い目にあってしまうことがよくあるようです。
一番恐ろしいのは、この界隈の言葉がとても曖昧にできていることです。
例えば「緊縛」はキツく縛ることですが、「拘束」や「SM」はどうでしょうか。答えから言うと「拘束」は相手の行動を制約すること全体を指しますし「SM」は加虐・被虐的な嗜好に基づく文化様式の総称…とても守備範囲の広い言葉です。
また「緊縛」と言っても縛り方、縛る素材、縛った後に何をするか…などと、単語一つだけでは表現しきれない様々な要素を持っています。
ですので、例えば「貴方の思っている【拘束】」と「私が思っている【拘束】」が、違うものである可能性は十分にあり、その「言葉」への了解があったとしても、相互に理解ができていない可能性がじゅうぶんにあるのです。
そんなツマラナイ事を言うな「場の流れ」って言うものがあるだろう…などと非難する声が聞こえてきそうです。しかし、是非ご一考ください。そこを曖昧にしてしまったがゆえに、悲しんでいるモデルさんや苦しんでいる縛り手さんもいるのです。
緊縛・拘束そしてSMという古来から連綿と続いて来たこの風俗は今、岐路にあると思っています。
私達がこの美しく刺激的な営みを、これに関わる全ての人を幸福にしながら楽しんでいけるようにしていきたいものです。
よく話し合いましょう。縛り縛られることに興味を持つ仲間なんですから。
一緒に素晴らしい時間を作り上げましょう。緊縛に関わるひと全ての未来のために。
model: naoさん twitter
*写真は本文と一切関係ありません
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